いま機会があると、若い学生たちに「働く意義」を説いています。来月も大阪YMCA国際専門学校ホテル学科の生徒たちに「何のために働くのか?」というテーマで講義をする予定です。
「何のために働くのか?」という結論を先に簡潔に言ってしまえば 、第一義の目的は「人のため、社会のために働く」のです。そして、そのために働いた結果として、生活の糧となるお金を頂戴するのです。
お金を稼ぐのは、あくまで第二義の目的です。この順番をぜひとも間違えないで欲しいのです。
残念ながら、若者たちは家庭でも、学校でも、このことをキチンと教えられていないのが現実です。否、若い人たちだけでなく社会人でも、このことを心に刻んで日々仕事に励んでいる人は少ないのではないでしょうか?
藤田英夫氏が主宰する組織改革研究会のセミナーに参加した277名に対して行われた「仕事とは何か?」というアンケートの回答を見てみると、第1位が 「生活のため、自分のため」で全体の62%を占めています。第2位が「社会のため」で20%、第3位が「会社のため」で17%。自分は社会のために仕事をしていると答えた社会人は僅か20%しかいない状況です。
藤田氏もその著「人間力」(NTT出版 2012年12月)の中で「お金は大事である。企業の利益は血液である。しかし、その大事なものは、仕事の結果としてもたらされるもので、至上の目的にはなりえない」と述べています。先日、感銘を受けて読んだ2014年9月25日付読売新聞の記事「空を巡る?ゼリーのイエ」をご紹介したいと思います。
『福島県いわき市・小名浜の海岸から900メートルの住宅街の一角にある「ゼリーのイエ」。店頭に並ぶ、繊細な宝石のようなゼリーは、もしかすると、いま日本で一番、手に入れづらいかもしれない。
(中略)
「朝4時に起きて作っても間に合わなくて、本当に申し訳ないです」と店主の杉山洋子さん(65)。「3年半前の震災の時も、皆さんが待っていてくれました。あの時の思いがあるから、がんばれます」
(中略)
11年3月11日。あの日も杉山さんは朝早くからゼリーを作っていた。いきなり経験したこともない揺れに襲われ、店の外に飛び出した。店の壁が崩れた。まもなく津波が襲いかかり、2本手前の通りで止まった。翌日には東京電力福島第一原発の爆発が起きた。
水道は止まったが、電気は生きていた。10台の冷蔵庫の中のゼリーは無事だった。数日後、杉山さんは市内の二つの病院に、「患者さんに食べてほしいと、手元にあったゼリーをすべて提供した。食べ物も水も何もかもが不足していた。「お年寄りにも食べやすく、本当に助かりました」と病院側は今も感謝する。
一方、常連客からは「あのゼリーが食べたい」「お店を再開してください」という電話やメールが次々と届いた。店が開いているかどうか、何度も自転車で見に来てくれる人もいた。
「ゼリーって、生活の中では、なくても生きていけるじゃないですか。それなのに、うちのゼリーを待っててくれる人が、あんなにいた」。 2か月後、店を再開した。
小名浜に住むイラストレーターの比佐健太郎さん(37)が客の気持ちを代弁する。「あのきれいで、優しいゼリーを食べると、ほっとする。普通の暮らしのありがたみが身にしみるんです」
震災のため、いわき市で458人が亡くなった。今も多くの人が仮設住宅での暮らしを余儀なくされている。新鮮な魚で知られた小名浜港は、試験操業が続く。それでも、一人ひとりが少しずつ、歩みを始めている。その営みを小名浜の青い空が見つめていると、杉山さんは感じる。
「この街で私ができるのは、ゼリーを作り続けること。母がくれた幸せを皆さんに届けること。心をこめてね」』
どんな仕事(もちろん法律に触れるような仕事は含まれません)に就いていようと、また就こうとも、その仕事は、直接的に、間接的に「人のため、社会のため」に役立っている。そして人と人とが仕事を通して結ばれていることを、この記事から認識していただければ幸いです。
2014年10月24日
株式会社JAPAN・SIQ協会
代表取締役 金子 順一