2015年2月13日、東洋ゴム工業(正確には子会社の東洋ゴム化成品工業)の明石工場の社員が、国土交通省の基準を満たすよう免震ゴムの性能データを改ざんし、基準に満たない不良品の免震ゴムを10年間も出荷し続けていたと報ぜられました。
免震ゴムは、大地震のときに建物の揺れを吸収して、建物やその中の物品への被害を最小限に抑える免震装置に使われているものです。ですから、大きな地震のとき、揺れが収まり次第すぐに業務を再開できるよう、災害救助の司令塔となる自治体の庁舎や救命・救助の役割を担う病院や警察署、消防本部などにも採用されているものです。
すでに発表されている大型建物の数だけでもマンションを含めて55棟、小規模建築の免震装置にも調査が進めば、さらに増えて200棟に達するのではと推定されています。
そのうち建築物の名前が公表されているものは、公共施設の17棟です。例えば、南海トラフを震源とする大地震を想定して、四国では高知県県庁本庁舎、安芸市総合庁舎、高知東警察署、南国市警察署、三重県では鳥羽警察署庁舎、県立志摩病院外来診療棟、県伊勢庁舎などが予算をかけて免震装置を採用したのです。
もちろん、性善説にもとづいて、企業側から提出されるデータを鵜呑みにして、これらのデータ偽装を見抜けない国の認定制度そのものにも問題がありますが、平気でデータを偽装し不良品を出荷し続けていた東洋ゴム化成品工業明石工場の元課長代理は、罪悪と思っていなかったのでしょうか?
なぜ、私がこの問題を提起したかというと、東洋ゴム工業は、すでに2007年に防火建材の断熱性能データを偽装し問題を起こしている企業だからです。
それ以来、再発防止に取り組んでいた筈にもかかわらず、まったく同様の問題が発生したということは、再発防止策は単なるお題目に過ぎなかったのでしょうか? 私は、働くことを単に会社のため、お金を稼ぐためという考えが根底にある企業風土そのものに問題があると思わざるを得ないのです。
私の好きな言葉に「一隅を照らす、これ則ち国宝なり(照于一隅此則国宝)」があります。 この言葉は比叡山に天台宗を開いた伝教大師最澄が、818年天台宗門後継者の修行規定として書かれた「山家学生式(さんげがくしょうしき)」の冒頭部分に書かれています。
湖東三山の一つ、天台宗金剛輪寺のホームページから引用させていただくと、「現代風に解釈すると、地味で目立たないどんな小さな役割でも、それに対して一生懸命取り組むこと、自分の持ち場にベストを尽くすことが、すなわち人のため世のためになる」と説明しています。東洋ゴム工業で働く社員の方々は「働く」という基本的な意義をどのように理解して仕事をなさっているのでしょうか?
あくまで私の推察ですが、おそらく、働く意義などまったく考えず、ただただ会社の利益のため、お金を稼ぐため、自分の出世のためのことだけ考えて仕事をなさっているのではないのでしょうか。前回のコラムでも申し上げましたが、何のために働くかといえば、「人のため、社会のために」一生懸命働くのです。そして、そのように働いた結果として、報酬を得、生活の糧とするのです。
目に見えないような小さな役割ではなく、災害時の人命救助に大きな力を発揮する免震ゴムの製造という仕事は、直接的に人のため、社会に役立つことが目に見えている大事な仕事です。なぜ、誇りをもって、働いていなかったのでしょうか?
「働く」とは「傍(はた)を楽にする」ことなのです。
2015年4月22日
株式会社JAPAN・SIQ協会
代表取締役 金子 順一