「敬天愛人(天を敬い人を愛する)」は、あの有名な西郷隆盛の遺訓のなかの言葉で、西郷自身が揮毫した私の好きな言葉の一つです。
「道は天地自然の物にして、人はこれを行なうものなれば、天を敬するを目的とす。
天を敬い人を愛し、天を知り、己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」
先日、所用で日航プリンセスホテル京都に伺ったとき、フロントカウンターの背面の壁に、誰の揮毫か分かりませんが、「敬天愛人」という書が大きな額に飾られていました。また、数日して有馬グランドホテルにお邪魔したとき、和食堂「花のれん」の入口の上(鴨居に当たるところ)に、やはり 「敬天愛人」と小さな文字で書かれているのに気づきました。
さらに、2016年2月22日付の読売新聞の編集手帳も西郷隆盛のこの「敬天愛人」の言葉を取り上げ、西郷隆盛の逸話を載せていました。
「雨の中、西郷隆盛は立ち尽くしていた。宮中から退出する際、いつもの着物姿の上、下駄をなくして裸足だったため、門番に怪しい人物と疑われたのだ。「陸軍大将」と名乗っても信じてもらえず、知人が通りかかるまでひたすら待った。
◆内村鑑三が『代表的日本人』の中で、紹介した逸話である。<西郷は人の平穏な暮らしを、決してかき乱そうとしませんでした>(岩波文庫)と記す。
◆内心では、腹を立てていたかもしれない。だが、自分が事を荒立てれば、門番は処罰されよう。西郷は他者、とりわけ弱者の立場をおもんぱかった。「天」に見られていることを意識して、自らを厳しく律する人でもあった。
◆日本漢字文化センター(埼玉県飯能市)が今年の四字熟語に西郷が揮毫した『敬天愛人』を選んだ。世相を憂え、里中満智子さんら選考委員が「日本人の心のあり方を考える年に」と願いを込めたという。西郷の奥の深さと合わせて、かみしめたい。」
内村鑑三(1861~1930)の「代表的日本人」は英文で日本の文化・思想を欧米社会に紹介した代表的な著作で、デンマーク語やドイツ語にも翻訳されています。発刊当初は、“Japan and the Japanese”と題されていましたが、一部を訂正、削除した再版が刊行されたとき、“Representative Men of Japan” と改題されています。
この中で内村は、代表的日本人として西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の5人を取り上げて紹介しています。翻訳したものが岩波文庫から出版されていますので、ぜひご一読ください。
内村は、軽井沢を愛し、晩年には夏になると軽井沢を訪れ、星野温泉旅館(現星野リゾートの前身)の別荘に滞在し自然の中で読書にふける日々を送りましたが、星野佳路現社長の祖父で二代目の星野嘉助社長が、10代で旅館の若主人として働き始めたころ、内村と出会ったそうです。
『二人の交流は内村が亡くなるまで約10年間続いた。嘉助は内村からさまざまな教えを受けた。あるとき、嘉助は内村をT型フォードの自動車に乗せた。ハンドルさばきが荒かった。驚いた内村は嘉助に対して、経営者として忘れてはならない心構えを書いて渡した。これが前出の「成功の秘訣」である。文章の中に「急ぐべからず、自動車の如きも成るべく徐行すべし」とあるのはこうした経緯があるからだ。』
(中澤康彦著「星野リゾートの教科書」 日経BP社 2010年4月第4刷)
この「成功の秘訣」は10か条からなっていますが、その一つに「能く天の命に聴いて行ふべし。自ら己が運命を作らんと欲すべからず」と、内村も西郷と同じように説いています。
三菱自動車は燃費偽装が発覚し、業績が急激に悪化しました。そして、いま日産自動車の傘下に入るという速報が飛び込んできました。不正が発覚すれば、そのあとどのような結果になるか、ごまんという前例があるにもかかわらず、不正が25年間も継続的に行なわれてきたとのこと、空いた口がふさがりません。いまほど日本人の心のあり方が問われているときはありません。
2015年7月1日付のコラム「お天道さまはいつも見ています」でも取り上げましたが、天に見られていることを常に意識して己を律することの大切さを改めて認識していただければ幸いです。
2016年5月16日
株式会社JAPAN・SIQ協会
代表取締役 金子 順一