1ヶ月半にわたりマスコミが大々的に報道した前東京都知事桝添氏のせこい屁理屈芝居も6月21日の辞任をもって、ようやく幕を閉じました。
「法律違反ではない」とか「第三者の厳しい目で」とかを連発、そして、常識では第三者とは言えない自分の指名した弁護士による自分の擁護のための記者会見。日本国民の誰もが桝添氏の人間性に疑問符をつけたのではないでしょうか?
舛添氏は、2014年東京都知事に就任した直後に「東京を変える、日本が変わる」という本を出版しています。そのなかで「政治は強者のためではなく、弱者のためにある。これが私の政治哲学だ」と述べています。
しかし、マスコミによれば、在任中舛添氏は美術館や博物館などへは何べんも視察と称して訪れていたようですが、介護・養護施設への視察は一度も無かったと報道されています。言っていることと行っていることに、これだけ落差の大きいひどい政治家というかリーダーはいないのではないでしょうか?
さらに、5月31日付の毎日新聞デジタル版によれば、2014年2月舛添氏が初登庁した日に、都の幹部職員を前に西郷隆盛を引き合いに次のように挨拶したとのことです。
『西郷は遺訓の中で、「万民の上に位する者、己を慎み、品行正しくし、驕奢(きょうしゃ)を戒め、節倹を勉(つと)め、職事に勤労して人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し」と喝破しています。都庁の職員一人一人が、天に恥じない仕事をするとき、必ずや都政に対する都民の信頼が回復するものと確信しております』
この訓示の言葉は、「南州翁遺訓」の第四項に記されています。この遺訓は西郷隆盛の身辺で百余日を過ごした菅実秀、三矢藤太郎、石川静正らが庄内藩に帰ってから隆盛の言動を記録したものです。
また、第七項には「ことの大小に拘らず、正道を踏んで至誠を推し、たとえ少しでも詐謀を用いてはならない。普通の人々は、問題がむずかしくなってくると作略をつかっていったんその場をきりぬければ、あとはどうにでも工夫ができてくるように思っているものだが、いちど作略を使った弊害は必ずおこってくるのであり、失敗するにきまっている。」(奈良本辰也・高野澄著「西郷隆盛語録」角川ソフィア文庫2010年初版)
西郷隆盛の遺訓を勉強して、幹部職員に訓示した舛添氏。しかし、これらの言葉を自分は習得せず、天を敬まわず、己を律せず、まったく裏腹な行動をとっていたということは他人には厳しく、自分には甘い性格の持ち主としか思えません。「人を咎めず」をモットーとしていた西郷隆盛も天国で顔をしかめているのではないでしょうか。
舛添氏は東大法学部卒業の優秀な頭脳の持ち主かも知れません。しかし、それだけではリーダーは務まりません。リーダーとして一番重要な要素は、頭脳明晰であるとか、コミュニケーション能力があるとか、経営理論の知識があるとかではありません。
もちろん、これらはリーダーの大切な要素であることは否定しませんが、リーダーの一番重要な要素は人格というか人間性であるということが私の持論です。
稲盛和夫氏とスティーブン・R・コヴィー博士は対談のなかで
稲盛氏「リーダーに必要なのは能力よりも人格である」
コヴィー博士「人格はリーダーシップの基盤である」
と、お二人ともリーダーにとって「人格」の大切さを強調されています。
すなわち、成功の原理、原則は、誠実さや正直さなど人としての正しい行いを兼ね備えた「人格」を持つことが大前提なのです。
2016年6月27日
株式会社JAPAN・SIQ協会
代表取締役 金子 順一