新年明けましておめでとうございます。
最近投稿の間隔が空いてしまっており申し訳ございませんが、本年も続けてまいりますので変わらぬご愛読を賜りますれば幸いに存じます。

“日本「読解力」急落15位 過去最低タイ 国際学力調査”~2019年12月4日付

読売新聞朝刊一面トップの見出しである。
これは経済協力開発機構(OECD)が2018年に79か国・地域の15歳60万人を対象に行った国際学習到達度調査(PISA)の結果が公表され、日本の読解力が前回2015年の調査の8位から、今回は15位と大きく順位を落したことが判明したためである。

「この公園には滑り台をする」
大手予備校の現代文講師小池陽慈さんによれば、ある受験生から提出された要約文を読んで 「またか」とため息が出る思いだ。こうした主語・述語が不明確で、意味が通じない文章は、近年とくに目に付くという。(読売新聞2019年12月5日)

また、健康社会学者の河合薫さんは、講演会後の懇親会で、企業の管理職が20代社員の日本語能力に悩まされているということが話題になったという。

「9時スタートの研修会なのに1分前にドサドサと入ってきて、5分10分の遅刻は当たり前。なので “9時10分前に集合するように”と言ったらキョトンとした顔をされてしまって。まさかと思いつつ“8時50分に来るのよ”と念押ししたんです。そしたら“ああ、そういうこと”って。」(日経ビジネスオンライン 2019年11月19日)

文部科学省は順位低下の要因として「子供たちの言語環境が急激に変わり、読書などで長文に触れる機会が減った」ことを挙げている。
日本はOECDの平均に比べて新聞やノンフィクションを読む割合が低い一方、「LINE」などを利用して短文のやり取りを毎日しているのは、日本が87.4%で、OECDの平均67.3%を20%も上回っている。

確かにスマホの普及が読解力低下の一因であると思うが、日本の若者の読解力低下は今さら始まったことではない。ベストセラー「国家の品格」の著者で数学者の藤原正彦お茶の水女子大学名誉教授は、すでに平成18年(2006年)に著わした「祖国とは国語」の中で日本人の国語力の低下を憂い、その根本の原因を次のように指摘しているのである。

「現代は我慢力を培うのが難しい時代である。我が国には真の貧困が、有史以来四十年前ほどまで存在した。真の貧困とは、いくら働いても食べていけないという意味である。そのような社会において、子供たちは、おやつが欲しくても、時には御飯が欲しくても我慢を強いられる。

文明の発達した今日の豊かな社会で、子供たちは欲しいものをふんだんに与えられ、 働かされることもめっきり減った。我慢力がつかないはずである。

我慢力不足は読書離れの原因である。テレビやマンガなどの映像に比べ、一つづつ活字を追う作業は、我慢力を要するからである。読書離れは理数離れより、さらに重大と言ってよい。理数離れは将来における科学技術力の低下、ひいては経済の退潮を 意味するが、読書離れは、国民の知力崩壊を惹起し、国家の確実な衰退を意味するからである。

豊かな時代であるからこそ、親と教師は、我慢力養成のため子供に厳しく当たらなければならぬのに、今や子供と友達関係になり果て、甘やかし放題である。この恐るべき甘やかしが、親や教師の不見識というより、流行りの教育理論に支えられている所に現代日本の病根がある。この理論の根底にあるのが 「個性の尊重」である。

これがあるから 「宿題は嫌い」「テレビ漬けやゲーム漬け」「勉強も仕事もせずに気ままに生きたい」はみな個性として大目に見られる。単なる甘やかしと阿り(おもねり)が “個性の尊重”という美しい言葉の魔力により、子供への “理解ある態度”へと変貌するのである。」

グローバル化が進む中、国際的に活躍できる人材の育成を目的として、今年から小学校の英語教育が必修となるようであるが、英会話ができても日本語の読解力のない者が外国人相手に論理的なディベートを展開できる筈がないことは明白である。

私自身の経験を述べさせていただければ、高校二年生まで、英語は全く不得意だったが、大学受験を控えた三年生の時、語学専門学校で半年間徹底的に英語の基本文型(Five Paterns)を叩き込まれた結果、英語が理解できるようになった。お陰様で大学での英語の授業はすべて「A」を貰うことができた事実が存在する。

小学生の時に英語を習わなくても遅いことはない。英語教育に時間を割くよりも国語の授業を充実させる大切さを政府は理解して欲しい。

令和2年(2020年)1月3日
株式会社JAPAN・SIQ協会
代表取締役 金子 順一