新型コロナウイルスによるパンデミックで世界各国の経済は急速に減速し、1929年の大恐慌以来、というより 「それ以上」の不況に突入するのではと懸念されています。

読売新聞 「あすへの考」(2020年5月17日)によれば、1980年ころから米国を中心に広がった株主第一主義、それは機関投資家が経営者に対し株価の上昇を要求したため、 倫理観の無い経営者は短期の利益追求に走り、巨額の報酬を得、経済格差を生み出し社会を分断させました。

しかし、新型コロナの感染拡大による景気悪化で失業者が増える中、機関投資家も企業も経済格差の拡大と地球温暖化問題を強く意識し始め、株主第一主義からステークホルダー主義へ舵を切り始めたと伝えています。ステークホルダー主義とは、株主のほか、従業員や顧客、取引先、地域社会、地球 環境に配慮しながら経営する手法です。

日本の歴史を振り返ってみると、6世紀に伝来した大乗仏教は「自利利他」を理想としました。天台宗の開祖伝教大師最澄は若い修行僧に対して表した「山家学生式(さんげがくしょうしき)」の中で「国宝とは何物ぞ 宝とは道心なり 道心ある人を名づけて国宝と為す 故に古人の曰く 径寸十枚是れ国宝に非ず 一隅を照らす 此れ則ち国宝なりと 悪事を己に向かえ  好事を他に與え 己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」と説きました。

「一隅を照らす・・・」とは、地味で目立たないどんな小さな役割でも、それに対して一生懸命取り組むこと、自分の持ち場にベスト尽くすことが、即ち人のため世のためになるという意味です。「忘己利他(もうこりた)」は他利の精神の大切さを説いています。

江戸時代の思想家 石田梅岩は、「道徳と経済の両立」によって家や社会を将来にわたって継続・発展させていくことを説き、持続可能な経営の先駆けとなりました。その著「都鄙問答(とひもんどう)」で、「富の主は天下の人々である」と論じ、ドラッガーに先駆けて「お客様満足」の大切さを訴えたのです。

また、大阪学院大学経済学部森田健司教授は、日経ビジネス電子版で “梅岩の言葉に「形によるの心」即ち「形があるものは、形がそのまま心である」があります。そして人の形とは「自分の職分」あるいは「自分の置かれた状況」と言い換えられます。

「自分が置かれた状況で励むことが、自分の本性を知るための修養になる」、「どんな状況であっても、不満を言わず、適切な行動を実践することで心を磨いていくことができる」と梅岩は民衆に教えました。目の前の仕事に勤勉に取り組むことが、人間の本性に近づくことにつながるのです。”と述べています。

最澄が説いた「一隅を照らす・・・」 と同様の思想といっても良いのではと思います。そして梅岩の哲学を継承したのが経営の神様松下幸之助であり、近江商人の有名な「三方よし」は、ステークホルダーを大切にする精神でもあります。また日本近代資本主義の父と呼ばれている渋沢栄一も、道徳と経済の合一説を唱えました。

コロナウイルス感染拡大を抑え込むため、1月14日現在7都道府県に緊急事態宣言が発令されていますが、日本でも2月末からワクチンの接種が始まる予定とのことです。暗いトンネルの先に収束への光が見えてきたといってもよいのではないでしょうか。

では、コロナ危機が終息した後の社会はどうなるのでしょうか?
更なる安心・安全対策が求められ政府の役割は増大することと思います。企業は業績の回復が急がれますが、コロナ危機は非正規社員をはじめ弱い立場の労働者を更に顕在化させました。今後は格差や環境問題をないがしろにした経営は成り立たちません。

コロナ禍で日本の企業や行政のデジタル化の遅れが表面化してきましたが、何が何でもすべてリモート化、デジタル化は日本的経営の良さを削ぐことになると考えます。アナログとデジタルの「いいとこどり」が肝要です。

コロナの終息を機に、江戸時代から綿々と受け継がれてきた道徳心を大切にした日本的経営が世界から見直されるのではないかと私は期待しています。

2021年(令和3年)1月14日
株式会社JAPAN・SIQ協会
相談役 金子 順一