コロナが収束した後の日本の社会はどうなるのか?

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため6月20日まで10都道府県に緊急事態宣言が発令されていますが、やっとワクチンの接種が進捗し始め、収束への光が見えてきました。

ソーシャル・ディスタンスの確保、会合・会食の人数制限、リモートワークの普及、不要不急の外出の自粛など 「三蜜回避」のための不便な生活を強いられてきました。 そして、それらはニューノーマルと称され、コロナ後も定着するという意見の識者が多いように見受けられます。

しかし、私の個人的な考察では、結論を先に言えば、完全にコロナの感染が終息(あと1年はかかると思いますが)すれば、8割くらいは以前と同じようなオールド・ノーマルの社会生活が戻ってくると確信しています。

その根拠ですが、人間の本能とか本質とかという視点から検証すれば、ニューノーマルの生活がそのまま継続するという意見は否定せざるを得ないのです。

京大総長を務めた霊長類研究者の山極壽一(やまぎわ じゅいち)教授によれば、“人間社会の信頼は 「三蜜」で築きあげられたものである”と述べられています。

人類ははるか昔から信頼できる仲間の数を増やして進化してきました。お互いが信頼し協力しあうことで捕食者から身を守り、生存の可能性を高める社会構造を作ってきたのです。
人間が集まって食事をするのも、共同で育児をするのも、共感力を高めるための行動であり、それによって社会力を強化してきました。

仲間の数を増やしていくと社会は複雑になっていきます。その複雑さに対処するために人間の脳は大きくなっていったという仮説があります。しかも、言葉は脳が現代人並みに大きくなった後に登場したので、社会脳は言葉以前の濃厚接触によるコミュニケ―ションで育まれてきたと考えられています。

言葉は情報社会をもたらし、交信できる人の数を拡大しましたが、人々が安心して頼れる人の数はあまり増えていない、信頼できる人の輪は未だ狩猟採集時代の150人を大きく超えていないと言われています。

「三密」を避けるということは、この信頼できる人の輪を壊すことであり、艱難辛苦を乗り越えるために人々は触れ合い肩をたたいて励ましあい、汗を流して生き抜いてきた社会性行動を否定することであり、人間の本能を無理やり閉じ込めるということです。

2021年6月7日付の読売新聞の世論調査によれば、コロナウイルス感染対策による自粛生活の長期化に対し、「自粛疲れ」を感じている人は68%に上っています。緊急事態宣言が延長された10都道府県に限ると72%と一段と高くなっています。

また、自粛によって感じているストレスや不満の内容(複数回答)は「外食や旅行に行けなくなった」が1位で81%、「人と会いづらくなった」が2位で76%。この調査の数字から人々がいかに「オールド・ノーマル」の生活が戻ることを期待しているか理解していただけるものと思います。

コロナ禍でステイホームが叫ばれ、利便性と人との接触が少ないネット通販の利用が大幅に増えました。企業側も配送の自動化・省力化を進め、消費者の利便性が更に高まりました。当初は人との接触を避けるという点も評価されて増加したこの流れは、配送時間の短縮など利用者の利便性の更なる向上という観点から継続、発展していくことは間違いありません。

一方、大企業などもテレワークを積極的に進めており、また、リモートワークに適したIT関連の仕事などは、すでにリモートへ移行しておりますが、もちろんそれらも元に戻るとは思われません。

しかし、それらは日本全体から見れば2~3割程度です。日本は中小企業が80%を占め、しかもサービス関連の業種がほとんどで、デジタル化や企業の大規模化がしにくい環境  なのです。民主主義国家の日本では、中国のように国民や企業に対し政府が主導して 強制的にデジタル化を推し進めるわけにもいきません。

識者は日本のデジタル化は先進国で最下位であるとか、発展途上国にも負けていると言って警鐘を鳴らしていますが、日本では徐々にしか浸透していかないと考えます。政府が普及の音頭を取っているマイナンバーカードの取得率が未だ約3割という事実がこれを物語っています。

もちろん中小企業でもサービス業でもデジタル化が可能である部分もあります。その部分は積極的にデジタル化することによって、少しでも効率や生産性の向上を図るべきであります。焦らず日本が得意とする「いいとこ取り」をしていけばよいのではないでしょうか?

2021年(令和3年)6月7日
株式会社JAPAN・SIQ協会
相談役 金子 順一